2008年11月26日水曜日

11/26 Today ハル・ノートの手交(1941)

ハル・ノートをアメリカの日本に対する最後通牒と捉え日本は対米開戦に踏み切る:
ハル・ノート - Wikipedia: "ハル・ノート(Hull note、正式にはOutline of proposed Basis for Agreement Between The United States and Japan、合衆国と日本の間の協定で提案された基礎の概要)は、太平洋戦争(大東亜戦争)開戦直前の日米交渉において、1941年(昭和16年)11月26日にアメリカ側から日本側に提示された交渉文書である。

概要は以下の10項目からなる。
  1. アメリカと日本は、英中日蘭蘇泰米間の包括的な不可侵条約を提案する

  2. 日本の仏印(フランス領インドシナ)からの即時撤兵

  3. 日本の中国からの即時撤兵 - 中国(原文China)

  4. 日米が(日本が支援していた汪兆銘政権を否認して)アメリカの支援する中国国民党政府以外のいかなる政府をも認めない

  5. 日本の中国大陸における海外租界と関連権益全ての放棄

  6. 通商条約再締結のための交渉の開始

  7. アメリカによる日本の資産凍結を解除、日本によるアメリカ資産の凍結の解除

  8. 円ドル為替レート安定に関する協定締結と通貨基金の設立

  9. 第三国との太平洋地域における平和維持に反する協定の廃棄 - 日独伊三国軍事同盟の廃棄を含意する、と日本側は捉えていたようである。

  10. 本協定内容の両国による推進

ハル・ノートを提示されたことで軍部を中心に強硬意見が主流になり、それに引きずられた形で昭和天皇も「開戦やむなし」に傾いたとされる。この結果、12月1日御前会議にて対英米開戦が決議され、ハル・ノートが提示される以前に択捉島の単冠湾を出航していた機動部隊に向けて12月1日5時30分、真珠湾攻撃の攻撃命令が発せられた。"
今から読めば、そんなに過激な内容とも思えないが……。

「わかりました、中国はアメリカに上げる」と言えばよかった。どだい日本一国では「征服」できないことがわかっていたのだ。それでも朝鮮と台湾は残った。毛沢東も出てこれなかっただろう。

勝負は、勝算をよく計算し、降りるときは降りることが大切。でも大陸に既得権益を持つ国内既得権集団の政治力は強大であり、また国民は集団ヒステリーで舞い上がっており、日本政府はハル・ノートを受諾するなぞはとても考えられなかった。既得権集団と「空気を読む政治」が国を滅ぼしたのである。

5 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

既得権があるのは古今変わらぬところですが、当時が現在と決定的に異なるところは、当時の既得権は中国大陸のそれなど、血を流して獲得しているということですね。「数多の同胞が血を流したというのに云々」という言葉の影響力は、理性的な議論を一瞬で吹き飛ばす力があったことでしょう。

なにせ今の既得権者は一滴の血も流していないですから。

Unknown さんのコメント...

当然権利を奪われる方は抵抗するわけで、権利を奪うには血を流す必要があったのです。「血を流して獲得した権利だから神聖なものだ」というのは、正直、どうでしょうかね〜。

それはともあれ、戦争に負けたおかげで血も流さずタナボタ式に獲得した既得権に安住する連中は(誰のことかはわかりますよね)、許せんですね。

匿名 さんのコメント...

ハル・ノートの内容がこういうことであれば、すぐに切れてしまわずに受諾して、その後の詳細な協議(撤兵スケジュールなど)の場で、のらりくらり相手の出方を見る、という方策もありそうですね。(七カ国協議?)

現在の北朝鮮による六カ国協議への対応を肯定するわけではないのですが、したたかな対応です。(相手の状況を読んだ上での意図的な対応なのか、無茶苦茶をやっているだけなのかは不明ですが)

Unknown さんのコメント...

将軍さまの方が当時の日本政府より頭がいいということでしょうか。日本が反面教師になったのかな。

匿名 さんのコメント...

>……昭和天皇も「開戦やむなし」に傾いたとされる

こいつ戦犯